2019年10月2日 更新

つくば母子殺人事件とは?事件発生の経緯や犯人についても

1994年、母親と2人の子供が殺害され遺体が遺棄されるという凄惨な事件が起きました。犯人は誰だったのか、目的は何だったのか、単独犯なのか複数犯なのか、残された俵結びの謎とは…。当時の報道の問題点も含めて解説していきます。

目次

つくば母子殺人事件の概要

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日本では毎年、認知されているだけで1000件近くの殺人事件が起こっています。平均すると1日2、3件という数字は、世界的に治安がいいと言われている日本において多いのか少ないのか、人によって意見が分かれるところです。

毎日起こっている殺人事件の中で、日本中に知れ渡っている殺人事件は数が限られています。年数がたっても人々に覚えられている事件は更に少ないでしょう。

その限られた事件の中で、今回は「つくば母子殺人事件」について解説していきます。

1994年10月29日被害者夫が妻子が居ないことに気づく

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1994年10月29日、ある病院に勤務している29歳の男性医師が勤務を終えた夕方、自宅に帰ると妻と子供たちの姿がありませんでした。妻は31歳、長女が2歳、長男が1歳です。

母親と子供たちが一緒に出掛けることは、どの家庭でもよくあることでしょう。ましてまだ乳児ともいえる年齢の子供たちですから、いつでもお母さんと一緒というのは珍しいことではありません。しかしこの時点で、既に事件は始まっていたのです。

数日後に夫が警察に捜索願を提出

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日をまたいでも帰ってこない妻子でしたが、夫である医師はその時点では通報しませんでした。実家に帰省をしていると思っていたと後に話しています。

しかし数日たっても連絡も帰宅する様子もなかったため妻の実家に連絡をとったところ、妻も子供たちも来ていないということがわかったため、急きょ警察に捜索願が提出されました。

警察ではこの捜索願を受理する際に、妻子が失踪する理由に心当たりがないか夫に確認しましたが思い当たる父子はないという回答でした。

1994年11月3日に京浜運河で遺体が発見される

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1994年11月3日、横浜市鶴見区の京浜運河でビニール袋に包まれた女性の遺体が発見されました。遺体はロープで何重にも巻かれ、おもりが付けられていました。しかし腐敗によりガスが発生し、水面に浮かび上がってきたようです。遺体は絞殺体でした。

同年11月7日、女性の遺体が発見された現場の近くで今度は幼女の遺体が発見されます。同じくビニールに包まれた絞殺体でした。この時点で各メディアから情報が発信され始めます。

そして11月12日、同じ場所で幼い男の子の遺体も見つかりました。3人の遺体が発見されたことから、この事件は大きなニュースとして全国に伝えられたのです。

31歳の女性と2歳の長女・1歳の長男の遺体だった

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女性の遺体が見つかった時点で、横浜水上署・鶴見署の両署は合同捜査本部を立ち上げて、被害者の特定を急いでいました。この遺体は解剖の結果、首に絞められた跡があったことから頸部圧迫による窒息死、つまり絞殺と断定されました。

この遺体はお察しの通り、捜索願が出されていた親子です。31歳の野本映子さんと長女の愛美ちゃん2歳、そして長男の優作ちゃん1歳と確認されました。年端もいかない幼い子供まで殺害され、更に運河に遺棄されるとは何とも痛ましい事件です。

25日に夫である男性が逮捕される

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同年11月25日、3人を殺害し遺体を遺棄した犯人が逮捕されました。逮捕されたのは、捜索願を提出していた夫である男性医師です。

男の名前は野本岩男29歳、優秀で評判のいい医師でした。この男は3人が行方不明になり警察が行方を捜している間は家族の安否を心配するふりをして、遺体が見つかった後は家族を亡くした不幸な夫、父親を演じていたのです。

逮捕されたというニュースは、瞬く間に全国に伝えられます。犯人が医師であり、夫であり、父親である人物であったことに日本中が騒然となりました。

事件発生の経緯

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世間から見ると一般的な上流階級の生活をしているであろう医師の家庭で、妻子を殺害するという凄惨な事件が起きました。

幸せであるはずの家庭で、殺意が生まれるというのは通常ではありえません。そこには何らかの事情が存在すると考えるのが自然です。犯人である野本岩男は、なぜ犯行に至ったのでしょうか。

ここからは野本岩男がどのように妻と出会い、家庭を築いていったのか、そしてなぜ家族を全員殺害したのかを紐解いていきます。

筑波大学医学専門学群在籍時に妻と交際を始める

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野本岩男は一浪の末、筑波大学の医学専門学群つまり医学部に入学します。ここでは普通の学生と同じように、勉学に遊びにと充実したキャンパスライフを送っていたようです。

医学生や医療関係者が参加するテニスサークルに参加したときに、妻・野本映子さんと出会います。当時、野本には交際している女性が複数いましたが、二人は恋に落ち、交際を始めました。

付き合い始めた二人ですが、野本には常に女性がいる状態でしたので結婚を考えるような付き合いではなかったようです。野本は何股もかけたまま、映子さんと同棲までしています。

卒業後に結婚をし子供を授かる

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付き合っているうちに、映子さんは妊娠します。野本は映子さんに中絶を申し入れ、映子さんはそれを受け入れました。結婚もしていない時ですので、そういう選択肢をとったのかもしれません。

しかし一度中絶を経験した二人ですが、映子さんは再び妊娠します。二度目の妊娠では、映子さんは中絶を受け入れませんでした。「結婚はしなくても、子供は産みたい」と野本に頼んだそうです。そしてその言葉通り、彼女からのもとに結婚を迫ることはありませんでした。

そんな彼女の姿勢が良かったのか、野本はこの妊娠、出産をきっかけに映子さんと婚姻関係を結びました。

1994年10月29日夫婦喧嘩勃発

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