2019年8月3日 更新

飯塚事件は冤罪の可能性が濃厚?真相は?事件の概要と判決も

1992年に福岡県で女児2人が殺害された飯塚事件は冤罪ではないかとの声が上がっています。冤罪だった場合は真相はわかっておらず真犯人も捕まっていないことになります。事件の概要や裁判の判決、冤罪と言われる理由についてご紹介していきます。

目次

冤罪なのに死刑執行された?飯塚事件に迫る

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飯塚事件で犯人として逮捕された久間三千年は冤罪が疑われたまま2008年に死刑が執行されました。現在も妻が無罪を晴らすために再審請求をして裁判で戦っています。

飯塚事件の概要や逮捕された久間三千年についてご紹介していきます。また、冤罪だと言われている理由や飯塚事件のその後についても見ていきましょう。

警察が証拠をねつ造した可能性やDNA鑑定の結果の不可解な点など疑惑の多い事件です。久間は死刑が執行されるまで無罪を主張し続けていました。

飯塚事件の概要

Thought Idea Innovation - Free photo on Pixabay (531315)

1992年に福岡県で当時7歳の女児2人が殺害された飯塚事件では近所に住む久間三千年が事件から2年後に逮捕されました。久間は無罪を訴えていましたが死刑が確定し、2008年に死刑が執行されています。

死刑が確定してからわずか2年での死刑執行に現在でも疑問の声が上がっていて、冤罪事件の可能性がある中での死刑執行には批判もありました。

まずは飯塚事件の概要を見ていきましょう。

小学1年生の女児2人が行方不明になる

Teddy Bear Stuffed Animals - Free photo on Pixabay (531316)

1992年2月20日に福岡県飯塚市で登校途中の小学1年生の女児2人が行方不明になりました。Aちゃんは朝7時40分頃に同級生とBちゃんの家へ向かい3人で学校へ向かって歩いていましたが、8時を過ぎてもBちゃん宅近くでぐずぐずしていたため同級生は先に学校へ向かいました。

2人になったAちゃんとBちゃんは8時10分頃にBちゃん宅付近で地面にしゃがみこんでいる姿を目撃されています。また、8時22分頃にも歩いているところが確認されています。

最後に目撃されたのは8時30分ですが数分後に同じ場所を通った人からは目撃されていないため直後に誘拐されたと見られています。

翌日に崖下で遺体発見

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AちゃんとBちゃんは翌日に遺体となって発見されました。2月21日午前0時10分頃に福岡県甘木市の八丁峠を自動車で通りかかった団体職員の男性が、小用を足すために車を降りたところ崖下の斜面にマネキンのようなものが捨ててあるのを発見しました。

不審に思い警察に通報した結果2人の遺体であることが判明したのです。死因は頸頸部を圧迫されたことによる窒息死で、性的暴行を受けた形跡がありました。

2人とも下着を脱がされており、下着やランドセルは遺体発見現場とは別の場所で道路から投げ捨てられたように遺棄されているのが見つかっています。

近所に住む久間三千年が事情聴取を受ける

Barbed Wire Fence - Free photo on Pixabay (531320)

事件から5日後の2月25日に近所に住んでいた当時54歳の久間三千年が事情聴取を受けました。毛髪と指紋の任意提出を受けてDNA鑑定を行ったところ、犯人とほぼ一致するとの鑑定結果が出ましたが逮捕には至りませんでした。

他の研究機関で再鑑定した結果DNAが一致しなかったためです。しかし警察は久間三千年が犯人だと決めつけて昼夜を問わずに張り込みを行いました。

警察が久間の写真を持って聞き込みを行ったので周辺住民からも疑いの目を向けられるようになっていきます。久間は事件への関与を否定していましたが警察がゴミを回収しようとしたためトラブルになったこともあります。

事件から2年後に逮捕される

Police Arrest Detention - Free photo on Pixabay (531321)

事件から2年後の1994年9月23日に女児の衣服についていた繊維片と久間の車で使われていたシートの繊維片が一致したため久間が逮捕されることになりました。

逮捕後も無罪を主張していましたが10月14日に死体遺棄で起訴され、11月5日には殺人略取誘拐でも追起訴されました。福岡地裁は1999年9月29日に死刑判決を下します。

久間は控訴と上告をしましたがともに棄却されて2006年9月8日に死刑が確定しました。

2008年死刑執行

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死刑確定からわずか2年後の2008年10月28日に福岡拘置所で死刑が執行されます。久間は再審請求の準備中で死刑執行直前まで無罪を訴えていました。

死刑執行の3か月前に死刑廃止団体のアンケート調査に答えた際には「真実は必ず再審にて、この暗闇を照らすであろうことを信じて疑わない」とアンケート用紙の裏面に記載していました。

後に冤罪事件となる足利事件と飯塚事件は同じDNA鑑定方法が取られていて、死刑執行は足利事件のDNAが再鑑定されることが決定してから12日後の出来事でした。

久間三千年が逮捕された理由

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久間三千年が逮捕された理由はいくつかありますが一番は女児の衣服に付着していた繊維片と久間の車の座席シートから切り取り調査された繊維片がほぼ一致したことです。

他にも現場で目撃された車と同じ特徴の車を所有していたことや車の後部座席から血痕と尿痕が検出されたことも影響しています。

また、久間の周辺では以前にも小学1年生の女児が行方不明になっていて現在も見つかっていないことから警察は初めから久間を疑って操作を進めていました。

現場で目撃された車と同じ特徴の車を所有

Speed Car Vehicle - Free photo on Pixabay (531327)

犯人のものと思われる車は複数の人に目撃されていて車の特徴が久間が所有していたものと一致しました。紺色のワンボックスカーで後輪はダブルタイヤ、窓には色付きフィルムが貼ってあるとするものです。

該当する車は9台ありましたが久間以外の人物はアリバイが成立して色付きフィルムは貼られていませんでした。車は女児の遺留品発見現場近くで目撃され、犯人だと思われる人物についても目撃証言がありました。

犯人と思われる人物はカッターシャツに茶色のベストを着ていて髪の毛は前の方が禿げていたと証言されました。しかし車が目撃されたのは山道のカーブであり、運転しながら車の詳しい特徴や人物の特徴を本当に観察できるのかについては疑問が持たれています。

車の座席シートと被害者の着衣に付着していた繊維片が類似

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