2020年1月20日 更新

鹿児島城の見どころを徹底解説!鹿児島城付近の観光スポットも!

鹿児島城周辺は歴史が好きな人や鹿児島に旅行へ行ったら見ておきたいおすすめの観光スポットの一つです。そこで今回は鹿児島城周辺の見どころスポットや鹿児島城付近にあるおすすめの観光スポットをご紹介します。鹿児島城周辺にあるグルメスポットもご紹介しています。

鹿児島城(鶴丸城跡)観光おすすめガイド

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鹿児島城は徳川家康の薩摩征伐に備えて築かれた城です。薩摩藩の城としてはとても質素な造りの城だったと言われています。そこでこの記事では鹿児島城について、その歴史を解説するとともに、鹿児島城の見どころスポットをご紹介していきます。

鹿児島城付近にあるおすすめの観光スポットやグルメスポットも合わせてご紹介していますので、鹿児島旅行に行かれた際にはぜひ参考にしてみてください。

鹿児島城(鶴丸城)とは?

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まずは鹿児島城の歴史について解説していきます。鹿児島城はいつ誰によって築かれた城なのか、そして現在はどうなっているのか、まとめてみました。

島津忠恒によって築かれた城

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鹿児島城は江戸時代に薩摩国鹿児島城山麓(現在の鹿児島県鹿児島市城山町)に築かれた城で、屋形の形状が鶴が羽を広げたように見えたことから、別名を「鶴丸城」といいます。

安土桃山時代から江戸時代前期の武将で、薩摩藩初代藩主である島津忠恒が、1601年に築いた城で、廃藩置県で藩がなくなるまで、島津氏の居城でした。北に本丸、南に二の丸が位置しており、とても単純な構造だったため、防御には問題があったと言われています。

再建を繰り返し1873年に焼失

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防御に問題があるとされていた鹿児島城でしたが、薩摩藩は外様大名として存続を許されたので、忠恒の時代に実戦で用いられることはありませんでした。しかし、幕末の薩英戦争の時にはイギリス軍艦から砲弾を撃ち込まれ脅威に晒されます。

あまりに簡素な造りだったためにイギリス軍艦が天守と間違えて寺を砲撃したという逸話も残っています。鹿児島は災害の多い地域だったため、鹿児島城はその後何度も焼失・倒壊・建て替えを繰り返しますが、1873年の焼失を最後に再建されることはありませんでした。

鹿児島城周辺の見どころスポット

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ここからは鹿児島城周辺の見どころスポットをご紹介していきます。石垣や水堀、石塀に残る西南戦争銃弾跡、城山公園展望台や西郷洞窟など、おすすめのスポットをまとめてみました。

石垣と水堀

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鹿児島城は1873年に本丸が焼失し、1877年に二の丸も炎上して建物がすべて焼失してしまったので、現在に残っているのは石垣と水堀のみになっています。石垣と水堀は東から北にかけて現存しています。

陰陽道では北東の方向は鬼の出入りする鬼門にあたり縁起が悪いとされており、本丸北東角の石垣は魔よけとして石垣の隅を欠いています。初夏から夏にかけて本丸の堀にハスの花が咲くので、これも見どころとなっています。

石堀に残る西南戦争の銃弾跡

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鹿児島城の旧厩跡に建てられた私学校跡の石塀には西南戦争の銃弾跡が今でも数多く残っており、戦闘の激しさを現在に伝えています。この石塀は厩の周壁として、鹿児島城の築城とほぼ同時期に構築されたものだと言われています。

西南戦争の直接的原因を作り、西南戦争の激戦地となったことから、私学校跡は西南戦争当時の面影を多く残しています。門と石塀のみが史跡として残されている私学校跡については次の項目で詳しく説明しています。

私学校跡

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私学校とは明治6年に征韓論に破れて下野した西郷隆盛が、桐野利秋や篠原国幹、大山県令とともに拠出金で建てた学校のことで、西郷を慕い一緒に官職を辞して帰郷した青年たちのために建てられたと言われています。

この私学校は鹿児島城の旧厩跡に建てられたのが始まりで、銃隊学校と砲術学校からなり、のちに城下に12校、県下に136校もの分校が誕生しました。西南戦争の激戦地となった私学校跡は、昭和43年に県の史跡に指定されました。

城山公園展望台

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城山公園には桜島や鹿児島市街地を一望できる展望台があります。その歴史は古く、大正天皇が皇太子の時代に、市街地を観覧する際に設置されたのが始まりとされています。よく晴れた天気のいい日には、霧島連山や指宿の開聞岳を眺めることもできます。

城山は標高108mの小高い山で、市街地の中心部に位置しています。600種類以上の温帯・亜熱帯植物が自生しており、遊歩道の散策をはじめ、観光客だけでなく、市民の憩いの場としても人気のある場所です。

西郷洞窟

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西郷洞窟は西郷隆盛が最後の5日間を過ごしたと言われている洞窟です。明治10年2月に鹿児島城下を出発した薩摩軍は、九州各地で転戦したのちの8月に解散します。西郷隆盛の一行は九州の山間地を越え、鹿児島を目指しました。

9月1日に再び鹿児島城下に戻った西郷隆盛の一行は城山に立て籠もりますが、9月24日に城山を包囲した政府軍から一斉砲撃を受けます。最後の抵抗に敵陣めがけて谷を駆け下りた西郷隆盛は腰と太ももに銃弾を受け、別府晋介の介錯によって最期を遂げたと言われています。

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