2020年2月29日 更新

笠置観光ホテルはなぜ心霊スポットに?ホテルの歴史や営業当時の様子とは

京都の笠置町にある有名心霊スポット「笠置観光ホテル」。メディアで取り上げられることも多く、知ってる人も多いのではないでしょうか?この記事では、笠置観光ホテルの歴史や営業当時の様子、笠置観光ホテルで起きた事件などを紹介していきます。

京都の心霊スポット「笠置観光ホテル」

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あなたは京都の心霊スポット「笠置観光ホテル」を知っていますか?観光の街と呼ばれる京都ですが、京都にも有名な心霊スポットがいくつか存在しています。

京都には、廃墟となり取り残されている建物がたくさんありますが、その中でもなぜ「笠置観光ホテル」が有名なのでしょうか?この記事では「笠置観光ホテル」の歴史や、心霊スポットと呼ばれる理由、「笠置観光ホテル」の現在について紹介していきます。

京都の心霊スポットに興味がある方、「笠置観光ホテル」に行ってみたい方は必見です。では、はじめていきましょう。

笠置観光ホテルの歴史

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まずはじめに、笠置観光ホテルの歴史について触れて行きましょう。笠置観光ホテルは、なぜ廃墟になってしまったのでしょうか?

元々は観光地のホテルだった

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笠置観光ホテルは、元々は観光地のホテルでした。

笠置観光ホテルがある笠置町は、京都の観光地として栄えていたのですが、1987年に国鉄がJRになり、都市部から笠置駅への直通列車がなくなったことを機に、笠置町への観光客は減少していきました。

時代の流れに取り残され閉業に

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観光客が減少すれば、自ずとホテルを訪れるお客さんも減っていきます。そして、かつては観光地として栄えていた笠置町を訪れる観光客もいなくなり、笠置観光ホテルは閉業になりました。

観光ホテルが閉業になるケースは、よくある話です。観光地のそばにホテルを建てても、時代の流れで観光客がいなくなってしまうと、観光ホテルは営業が難しくなるのです。

解体途中で放置され廃墟に

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笠置観光ホテルは閉業となり、解体されることが決定しました。しかし、解体工事の途中で放置されてしまったのです。

「解体の途中で放置なんてあるの?」と疑問に思う人もいるでしょうが、珍しい話ではありません。一度解体が放置されると、再び解体工事を始めるまでに時間がかかるケースがほとんどです。

笠置ホテルのように解体の途中で放置され、今も廃墟となって残っている建物は、日本に多く存在しています。

営業当時はどんなホテルだったの?

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笠置観光ホテルは営業当時、地元民からも観光客からも人気のホテルでした。温泉も完備されていて、ホテルの横には木津川が流れており、景色もかなりよかったそうです。

宿泊料金は夕食朝食付きの一泊で、1人2500〜4000円です。かなり安いように感じますが、当時はどうだったのでしょう?

笠置観光ホテルが心霊スポットと言われる理由

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笠置観光ホテルの歴史や、営業当時について紹介してきました。笠置観光ホテルは時代の流れによって閉業してしまいましたが、笠置観光ホテルに思い出がある人も多いでしょう。

では、なぜ笠置観光ホテルは廃墟になった後、心霊スポットと呼ばれるようになったのでしょうか?廃墟というだけで不気味な雰囲気を感じますが、笠置観光ホテルが心霊スポットになった理由は他にもあります。

では、笠置観光ホテルが心霊スポットになった理由を3つ紹介していきます。

オーナーの自殺

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1つ目は「オーナーの自殺」という理由です。笠置観光ホテルが心霊スポットになった理由として最も濃厚なのが、このオーナーの自殺です。

笠置町が観光地ではなくなり、経営不振に陥ったホテルのオーナーが自殺してしまったという話です。それも、ホテルの玄関で焼身自殺という噂が飛び交っています。

廃墟となった笠置観光ホテルでは、このオーナーを見たという心霊体験をしている人も多くいます。

霊の目撃談が多い

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2つ目は「霊の目撃談が多い」という理由です。笠置観光ホテルでは、霊が多く目撃されています。廃墟というだけで不気味な雰囲気を感じるものですが、霊な実際に目撃された場所は心霊スポットとして、瞬く間に有名になっていきます。

笠置観光ホテルの横には川も流れています。水場には霊が集まりやすいと、よく言われています。また、廃墟も同様です。廃墟にはもともとその場にいた霊だけではなく、その他の霊も集まっていくことが多いそうです。

メディアに取り上げられる

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