目次
- 事故現場が「心霊スポット」へ…
- 千日前デパート火災についての概要
- 1972年に大規模な火災発生
- 出火原因と被害拡大の原因
- 千日前デパートの火災写真一覧
- 呉服店の焼けただれたマネキン
- 煙が最上階まで来ている様子
- 必死に梯子にしがみつく様子
- 千日前はかつて「処刑場」だった
- 地名の由来
- 新選組「近藤勇」との関係
- 処刑場から成長を遂げた千日前
- 「プランタンなんば」で起きた心霊現象
- バーゲンセール時の店内放送
- 館内で行方不明になった人がいる
- 従業員はお守りを持たされる
- 現在の「ビックカメラなんば店」について
- 社が建てられている
- 心霊現象は激減している
- ビル周囲では心霊現象が多発
- 悲惨な事件を忘れてはいけない
事故現場が「心霊スポット」へ…
大阪なんばにある、ビックカメラなんば店は非常に賑やかですし心霊スポットだと言われても信じられないのですが、実は以前、ビックカメラなんば店があった場所では悲惨な火災事故が起きているのです。
そのため、ビックカメラなんば店でも夜になると不可解な現象が起きたりと、心霊体験をしている方もいまだにいるのです。
まさに、以前事故が起きた場所が、そのまま「心霊スポット」として存在していると言えます。それが現在のビックカメラなんば店なのです。
そのため、ビックカメラなんば店でも夜になると不可解な現象が起きたりと、心霊体験をしている方もいまだにいるのです。
まさに、以前事故が起きた場所が、そのまま「心霊スポット」として存在していると言えます。それが現在のビックカメラなんば店なのです。

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千日前デパート火災についての概要
via pixabay.com
千日前デパート火災は、史上最悪火災事故だと言われています。それだけ大きな被害でしたし、実際に死者も多数出ています。
歴史に残る大きな事故となってしまったのです。そんな、千日前デパート火災の概要を紹介していきます。
歴史に残る大きな事故となってしまったのです。そんな、千日前デパート火災の概要を紹介していきます。

イレブンスリーとは、大阪の岸和田市で例年行われる暴走族の暴走行為のことです。最盛期には、警察官を拉致監禁したり、暴行をしたりと非常に危険な暴走行為としてテレビでも取り上げられていました。そんな暴走行為は2019年も行われるのかどうかについても触れていきます。
1972年に大規模な火災発生
via pixabay.com
1972年の5月13日に起きた千日前デパート火災は、なんと死者が118名、そして重軽傷者が78名にもなりました。デパートの下階にある店舗が閉店をしたあとの22時27分頃に3階の婦人服売り場から火災は発生しました。
火災が起きた日は土曜日と言うこともあり、平日に比べると客も多く、それもあってか多くの人が犠牲になったのです。多くの人が、一酸化炭素中毒で亡くなったと言われています。
それだけ、建物内にはかなりの煙が充満していたと言われています。
火災が起きた日は土曜日と言うこともあり、平日に比べると客も多く、それもあってか多くの人が犠牲になったのです。多くの人が、一酸化炭素中毒で亡くなったと言われています。
それだけ、建物内にはかなりの煙が充満していたと言われています。
出火原因と被害拡大の原因
via pixabay.com
千日前デパート火災の出火原因は、なんと電気工事関係者のタバコの不始末でした。延焼したのはデパートの5階までだったのですが、上階まで続く階段が煙突の役割を果たしてしまい、すぐに上まで煙が届いてしまいました。
最上階(7階)で営業していたサロンまで煙が届いたのですが、その際に飲み逃げされてしまっては困るとのことで、従業員がなんと建物の避難扉の鍵を外からかけてしまったことによって、逃げ道が封鎖されてしまったのです。
これが被害拡大に繋がりました。また、非常誘導路には本来ならばしてはいけない間仕切りがしていなかったため、使い物にならず避難できずに亡くなった方が沢山いたのです。
最上階(7階)で営業していたサロンまで煙が届いたのですが、その際に飲み逃げされてしまっては困るとのことで、従業員がなんと建物の避難扉の鍵を外からかけてしまったことによって、逃げ道が封鎖されてしまったのです。
これが被害拡大に繋がりました。また、非常誘導路には本来ならばしてはいけない間仕切りがしていなかったため、使い物にならず避難できずに亡くなった方が沢山いたのです。
千日前デパートの火災写真一覧
昭和30年代後半~40年代前半の大阪千日前。左がアシベ劇場、右が火事で有名になった千日デパートです。この時代だと、現役で覚えてる人もいるのではないでしょうか。#写真が語る大阪史 pic.twitter.com/tqsTLEOgjc
— BEのぶ(米澤光司)@昭和史家 (@yonezawakouji) October 28, 2019
では、当時の火災の大きさがよくわかる、千日前デパート火災の写真をお届けします。

東大阪集団殺人事件をみなさんご存じでしょうか。若者のリンチにより残虐な殺し方で2人の若い命を落としました。その犯人は、9名に上り、うち1人は暴力団組員です。そんな事件の主犯格の小林竜司とは一体どういう人物だったのか、事件の全貌を検証していきたいと思います。
呉服店の焼けただれたマネキン
これは怖いわね、千日前デパート火災のときのマネキン、、怖いわ、ちびりそう、、心なしか、紙おむつの中が、、温くなったけど、、 pic.twitter.com/cEGEtPONZw
— 香織ちゃん◢ ⁴⁶北摂津 (@DDnagaoka) July 14, 2014
焼けただれたマネキンはかなりの迫力です。非常に怖いですし、何よりそれぞれのマネキンの視線が違うことも不気味に感じます。
髪の毛と手は、熱風によって焼けただれていますが、着物はわりと綺麗に残っています。これは、着物が燃えにくいシルクでできているからだと言われています。
この写真はとても衝撃的で、千日前デパートの悲惨さを表す写真のひとつと言えるでしょう。さらにまた、着物と言うのが衝撃的ですし、不気味さが増します。
髪の毛と手は、熱風によって焼けただれていますが、着物はわりと綺麗に残っています。これは、着物が燃えにくいシルクでできているからだと言われています。
この写真はとても衝撃的で、千日前デパートの悲惨さを表す写真のひとつと言えるでしょう。さらにまた、着物と言うのが衝撃的ですし、不気味さが増します。
煙が最上階まで来ている様子
1972年5月13日、千日デパート火災。大阪千日前の千日デパートで閉店後、工事中のフロアから火災。それが最上階のアルサロ(アルバイトサロン=キャバクラ)に煙が上がり、118名が死亡。 pic.twitter.com/ae7Q1JbZ9f
— Satoru_Date (@satorudate) May 12, 2019
火の手は5階まででとどまったようですが、煙は最上階まで押し寄せている様子がわかります。下の階の店舗は営業は終了していた時間でしたが、最上階のサロンは営業中の時間でした。
そのため、多くの人が犠牲になったのです。最上階であるにも関わらず、逃げ場を失った人たちが窓から飛び降りたり、飛び降りるのを躊躇していても、他の人たちが折り重なってきたことによって落ちてしまったりと様々です。
当時は、隣のビルへ続く通路が工事中だったようですが、その通路もブロックで塞がれてしまっていた状況だったようです。
そのため、多くの人が犠牲になったのです。最上階であるにも関わらず、逃げ場を失った人たちが窓から飛び降りたり、飛び降りるのを躊躇していても、他の人たちが折り重なってきたことによって落ちてしまったりと様々です。
当時は、隣のビルへ続く通路が工事中だったようですが、その通路もブロックで塞がれてしまっていた状況だったようです。
必死に梯子にしがみつく様子
【Hickeyの今日は何の日?】
— Hickey☆Blog 🇯🇵 (@HickeyBlog) May 12, 2019
今日(5/13)は
【千日デパート火災の日】
昭和47年5月13日
大阪市南区千日前の
(現在の中央区)
千日デパートで火災が発生⁉️
死者118名…
負傷者81名…
日本のビル火災史上最悪の大惨事…#学校じゃ教えてくれない大事なこと pic.twitter.com/LZTT6Do3FC
火災によって、エレベーターが停止してしまい、さらには非常扉も外側から施錠されてしまったため逃げ場を失ったことにより、救助の梯子には多くの人がしがみついている様子などが写真に残されています。
とにかく煙がひどく、一瞬で気を失ってしまうような状態でした。救助されている女性も、すすだらけになっている様子が見られます。
建物全体に煙が来ていて、火の勢いもものすごいものだったのでしょう。窓から飛び降りた方はほとんどの方が亡くなってしまったようです。
とにかく煙がひどく、一瞬で気を失ってしまうような状態でした。救助されている女性も、すすだらけになっている様子が見られます。
建物全体に煙が来ていて、火の勢いもものすごいものだったのでしょう。窓から飛び降りた方はほとんどの方が亡くなってしまったようです。
千日前はかつて「処刑場」だった
via pixabay.com
なんと、千日前デパートが建てられていた土地はかつて処刑場だったのです。遡ること、1615年の江戸時代初期に「千日墓地」と言う大規模な墓地がつくられました。
さらに、そこに処刑場と焼き場までもが併設されたのです。この時点で、人々が当時から遠ざける場所となっていました。処刑場は、明治3年に廃止されています。
そんな、場所に千日前デパート、そして現在のビックカメラなんば店はあるのです。地下のなんなんタウンを建設する際も、地下から多くの人骨が出てきたようです。
さらに、そこに処刑場と焼き場までもが併設されたのです。この時点で、人々が当時から遠ざける場所となっていました。処刑場は、明治3年に廃止されています。
そんな、場所に千日前デパート、そして現在のビックカメラなんば店はあるのです。地下のなんなんタウンを建設する際も、地下から多くの人骨が出てきたようです。
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