目次
都内にある【府中米軍基地跡】の廃墟
東京都府中市浅間町一丁目にある、府中米軍基地跡は、京王帝都京王線府中駅を北上した位置にひっそりと存在しています。
府中の森公園の近くにあり、基地跡はフェンスで囲まれています。国有地のため、中に入ることはできません。それでも、その雰囲気からか人気の場所で、多くの人が府中米軍基地跡へ足を運んでいます。
そこへ行くと、まるでタイムスリップしたかのような空気感を味わうことができるでしょう。
府中の森公園の近くにあり、基地跡はフェンスで囲まれています。国有地のため、中に入ることはできません。それでも、その雰囲気からか人気の場所で、多くの人が府中米軍基地跡へ足を運んでいます。
そこへ行くと、まるでタイムスリップしたかのような空気感を味わうことができるでしょう。

かつ「西のディズニーランド」とまで言われた奈良ドリームランドは、2006年に閉園してからは、国内のみならず海外でも有名な廃墟と化しました。現在は解体作業が進んでいますが、どのような姿になっているのでしょうか?また噂されている心霊現象も見ていきます。
府中米軍基地跡とはどんな場所?
府中米軍基地跡は、1939年に旧帝国陸軍燃料廠として設置された場所です。戦時中の航空燃料や、自動車燃料の備蓄基地として使われていました。
終戦後には、通信施設と米軍住宅として使われていました。これが、極東第五空軍司令部・在日米軍司令部です。1965年の東京オリンピックの際は米軍住宅(ワシントンハイツ)の代替地としても利用されていました。
1973年には、通信施設以外の基地が返還され、府中の森公園などができたのです。昼間行くと、とてものどかな場所であることがわかります。
終戦後には、通信施設と米軍住宅として使われていました。これが、極東第五空軍司令部・在日米軍司令部です。1965年の東京オリンピックの際は米軍住宅(ワシントンハイツ)の代替地としても利用されていました。
1973年には、通信施設以外の基地が返還され、府中の森公園などができたのです。昼間行くと、とてものどかな場所であることがわかります。
巨大なパラボラアンテナが目印
府中米軍基地跡のほぼ中央には巨大なパラボラアンテナが2つ、北側向きに設置されています。このパラボラアンテナが府中米軍基地跡の目印になっています。
遠くから見てもわかるくらいに大きく、存在感があります。テレビでも取り上げられたことがあるほどです。現在もこのパラボラアンテナが使われているかどうかははっきりとしていません。
ですが、おそらく見る限り使われているような雰囲気はないようです。
遠くから見てもわかるくらいに大きく、存在感があります。テレビでも取り上げられたことがあるほどです。現在もこのパラボラアンテナが使われているかどうかははっきりとしていません。
ですが、おそらく見る限り使われているような雰囲気はないようです。
廃墟マニアから人気のスポット
遠くからでも、パラボラアンテナの存在感があり、周りには高い建物がないため迫力があります。そして、近くで見ても廃墟ならではのミステリアスな雰囲気です。
そのため、廃墟マニアの方から人気のスポットになっています。独特の雰囲気の写真が撮れると言うことから、カメラを持った多くの人が訪れています。
全体が錆びている様子や、蔦の絡まる建物は、まさに時間の経過が作り出すアート作品とも言えるでしょう。
そのため、廃墟マニアの方から人気のスポットになっています。独特の雰囲気の写真が撮れると言うことから、カメラを持った多くの人が訪れています。
全体が錆びている様子や、蔦の絡まる建物は、まさに時間の経過が作り出すアート作品とも言えるでしょう。
府中米軍基地跡の様子
それでは、現在の府中米軍基地跡の様子について紹介していきます。廃墟は、比較的すぐに取り壊されてしまって、全く別の建物が建っていたり、更地になっていることがほとんどです。
府中米軍基地跡にも様々な噂があります。現在は一体どうなっているのか、真相について触れていきましょう。
府中米軍基地跡にも様々な噂があります。現在は一体どうなっているのか、真相について触れていきましょう。

栃木県にある最恐心霊スポットと言われている東洋診療所は、現在は廃墟になっており非常に不気味な雰囲気を醸し出しています。様々な心霊現象も起きるようです。ですが、近々解体されるのでは?とも噂されています。そんな東洋診療所について詳しく解説していきます!
進入禁止の場所だった
府中米軍基地跡は、全体がフェンスで囲まれており敷地内に入ることはできません。ですが、フェンス越しに廃墟の雰囲気を見ることはできます。
そして、フェンスの網目からカメラのレンズを覗かせれば綺麗な写真も撮れると言うことで、多くの人が撮影をしに来ていました。
府中の森公園に面している場所もあるので、公園から撮影する方も多かったようです。市街地の方から府中米軍基地跡の様子を見ると、まるで別世界のように見えます。
そして、フェンスの網目からカメラのレンズを覗かせれば綺麗な写真も撮れると言うことで、多くの人が撮影をしに来ていました。
府中の森公園に面している場所もあるので、公園から撮影する方も多かったようです。市街地の方から府中米軍基地跡の様子を見ると、まるで別世界のように見えます。
府中米軍基地跡の様子
府中米軍基地跡には、通信施設跡のような建物が約13棟ほどあり、北側には2〜3階建ての集合住宅が5棟ほど建っていました。
建物の外壁には、まさに廃墟らしい雰囲気で蔦が絡まっています。遠目からでしか見えませんが、きちんと管理されているからか比較的綺麗な廃墟です。
パラボラアンテナのすぐ隣には巨大な電波塔もあり、その電波塔もまた廃墟らしい独特の雰囲気を放っています。パラボラアンテナと電波塔は錆びており、それもまた廃墟マニアから人気のポイントです。
建物の外壁には、まさに廃墟らしい雰囲気で蔦が絡まっています。遠目からでしか見えませんが、きちんと管理されているからか比較的綺麗な廃墟です。
パラボラアンテナのすぐ隣には巨大な電波塔もあり、その電波塔もまた廃墟らしい独特の雰囲気を放っています。パラボラアンテナと電波塔は錆びており、それもまた廃墟マニアから人気のポイントです。
現在は解体されている
府中米軍基地跡は、一時期は解体されると言われていましたが2012年9月に、都市計画の目処がつかないとして、一部は解体されましたが現在も残っている施設もあります。
パラボラアンテナ付近から美術館通りまでの間は、ほとんど手付かずのようです。2019年の7月ごろにも、廃墟マニアの方が訪れているので、まだ現在も解体されたのは一部で廃墟として残っている部分がほとんどのようです。
周りの住民も、パラボラアンテナがシンボルのようになっているので、解体しないでほしい…と言う方がほとんどです。
パラボラアンテナ付近から美術館通りまでの間は、ほとんど手付かずのようです。2019年の7月ごろにも、廃墟マニアの方が訪れているので、まだ現在も解体されたのは一部で廃墟として残っている部分がほとんどのようです。
周りの住民も、パラボラアンテナがシンボルのようになっているので、解体しないでほしい…と言う方がほとんどです。
解体後はどうなってる?
現在も、解体されているのはほんの一部なので、まだまだ廃墟マニアの人も多くの方が訪れている状況です。ですが、もちろん敷地内には立ち入り禁止ですので注意してください。
実際に、解体すると以前言われていたことで、もう現在は更地になっている…と思っている方も多く、現在も残っていると言うことを知って急いで足を運ぶ人も多いようです。
半分は取り壊されていますが、その後は手付かずのままで現在もその後どうするかは決まっておらず、宙ぶらりんの状態です。ですが、急ピッチで解体が進むことも考えられるので、まさに行くなら今がチャンス…と言うところです。
実際に、解体すると以前言われていたことで、もう現在は更地になっている…と思っている方も多く、現在も残っていると言うことを知って急いで足を運ぶ人も多いようです。
半分は取り壊されていますが、その後は手付かずのままで現在もその後どうするかは決まっておらず、宙ぶらりんの状態です。ですが、急ピッチで解体が進むことも考えられるので、まさに行くなら今がチャンス…と言うところです。
府中米軍基地跡は心霊スポット?
1 / 2