2020年2月24日 更新

京都御所の魅力や見どころを徹底解説!拝観料やアクセス方法についても!

京都御所は多くの人が知っているスポットですが、その歴史や中に何があるのかを説明できる人は多くありません。名前は知っているけど、実際に訪れた事がないという人も多いでしょう。そこで今回は、京都御所の魅力や見どころについて詳しく紹介します。

京都御所の魅力や見どころを徹底解説!

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京都は日本を代表する観光都市であり、海外からの観光客も多いです。若者は特にご利益のある神社仏閣を巡ってしまいがちですが、中には京都の歴史を感じられるスポットに行きたいという人もいるでしょう。

その中でもおすすめは「京都御所」です。天皇が住んでいたところなであり、公的業務がなされていた日本の中心的存在です。しかし魅力や見どころを知っておかなければ、見るところがないと感じたりサーッと歩いて終わってしまったりしてしまいます。

そこで今回は京都御所の歴史や見どころを徹底解説します!

京都御所とは?

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京都御所は、1331年から1869年のおよそ540年に渡って内裏として機能していたところです。天皇が居住するのはもちろん、儀式や公務が執り行われていました。

明治時代に入るまで、500年以上も歴史的瞬間はいつもこの京都御所で起こっていました。現在はこの内裏の中が一般公開されており、誰でも見ることができます。建物の中までは入れませんが、外から建物の様子を見学することができます。

当時は皇室関係者以外立ち入れず、一般市民は敷地内に一歩も入れなかったことを考えると、京都御所はとても貴重な施設です。天皇は日本の文化でもあるため、国外からの観光客も多く訪れます。

京都御所の歴史

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京都御所は歴史的スポットなので、その歴史を知っておくことでぐっと楽しめる度合いが変わってきます。京都御所=皇居のイメージがある人が多いかもしれませんが、平安遷都の際の皇居は京都御所から1.7kmも離れた所にありました。

ここでは、京都御所が皇居として使用されるようになった室町時代から現在までの歴史を紹介します。

室町時代~江戸時代

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794年の平安遷都の際、天皇が住む大内裏は今の千本通りにありました。しかし火災によって建物が消失しており、当初はその度に再建していましたが、平安末期には再建されなくなりました。

大内裏に住めない場合、天皇が住むことになるのが仮の皇居と言われれる里内裏です。京都市内にいくつかありましたが、そのうちの1つが現在の京都御所の場所にあった「土御門東洞院殿」でした。

後白河上皇の所有となった際、室町幕府を確立した光厳天皇はここを改めて里内裏としました。1401年に再び火災で焼失した際、再建時に本格的な内裏の機能を持たせました。

明治時代~現在

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明治時代に入り、天皇と公家は東京へと移りました。そして1877年に天皇が京都を訪れました。すると10年も経っていないのに荒廃する京都御所の様子を見て、「京都御所を保存し旧観を維持すべし」と宮内省に命じました。

1883年には、京都が即位式・大嘗会の地として制定されました。それが今でも守られており、京都御所は皇室関連施設として宮内庁京都事務所によって管理されています。京都御園は国民公園となっており、環境省が管理しています。

京都御所の魅力や見どころ

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それでは早速、京都御所にある魅力や見どころのスポットを紹介していきます。少し歴史を知っておくだけで楽しめるので、京都御所を訪れる前には軽く予習しておくことをおすすめします。

では、京都御所ではどのようなスポットを中心に見て周ればいいのでしょうか。

京都御苑

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京都御所を囲むように広がっているところが「京都御園」です。総面積は92ヘクタールであり、環境省によって管理されている国民公園となっています。

明治時代になって京都御所が保護されることが決まると、万が一火事が起こっても周りに被害が広がらないようにと土地が整備されたことが始まりです。

京都御苑内には木々が生い茂り、季節によって様々な花が楽しめます。敷地内には京都御所だけでなく、京都仙洞御所や京都迎賓館、レストランなどが建っています。

観光客のために無料の休憩所も設置されており、京都観光の一息すく場所としてもおすすめです。苑内には児童公園やスポーツができる広場もあります。

紫宸殿

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京都御所で中心的な建物となっているのが「紫宸殿」です。儀式の中でも天皇の即位礼や元服など最も格式高い公的儀式がここで行われていました。

江戸時代に再建された建物ですが、その構造は平安時代の寝殿造を基調としており、屋根部分のみ再現しきれなかったので近世風になっています。当時、財政難や凶作に苦しんでいましたが最も大切な紫宸殿と清涼殿のみ平安時代を再現した造りで再建されました。

ちょうど中央にあるのが「高御座」であり、即位礼の際には天皇が座られます。

諸大夫の間

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清涼殿の西側にあるのが「諸大夫の間」です。書院造が特徴であり、御所に呼ばれた人の控室として使用されていました。しかし御所内では身分に合わせて通される部屋が異なっていました。

参議以上の公家が使用できる「虎の間」、諸侯・所司代・高家などが使用できる「鶴の間」、諸大夫が使用する「桜の間」に分かれていました。部屋の名前は、それぞれの部屋の襖に書かれている水墨画にちなんで付けられています。

東から3部屋続いており、最も東が1番くらいの高い間となっていました。

御池庭

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