目次
- 天照大神はどんな神様?
- 天照大御神と表記されることもある
- 天照大神について
- 父はイザナギ、母はイザナミ
- 日本神話の主神
- 性別は女性(女神)
- 天照大神男神説もある
- 日本の総氏神
- 太陽神と巫女の性格を持つ
- 天照大神は左目から誕生した
- イザナギが体を洗ったことで神々が誕生
- 顔を洗ったら左目から天照大神が誕生
- 天照大神と天皇家との関係
- 天照大神は皇祖神
- 女性天皇の姿が反映
- 皇室の祖先と言われたこともある
- 天照大神の神話
- 天岩戸に隠れた
- 天照大神は卑弥呼説
- 別名オオヒルメノムチが卑弥呼と符号
- 天岩戸に隠れた時期が卑弥呼が亡くなった時期に相当
- 卑弥呼説には問題点もある
- 天照大神が祀られている神社
- 伊勢神宮内宮
- 天岩戸神社
- 今宮戎神社
- 大御神社
- 廣田神社
- 天照大神はとても偉大な神
天照大神の神話で一番有名なのが「天岩戸神話」です。天照大神の弟である須佐之男命が、田んぼの畦を壊してしまったりと、大変な暴れん坊だったと言われています。それは母を亡くしたことの悲しさからそうなったと言われています。
最初は天照大神も弟のことをかばっていましたが、あまりに須佐之男命が暴れん坊であったために、最終的には怒り悲しみ、天岩戸と言う洞窟に隠れてしまったのです。
太陽神である天照大神ですから、隠れてしまうと太陽も出ずに暗闇の世界となってしまい、作物は育たず病気になったりする人が増えてしまいました。このままではいけない…と八百万の神々が集まり相談をしました。
最初は天照大神も弟のことをかばっていましたが、あまりに須佐之男命が暴れん坊であったために、最終的には怒り悲しみ、天岩戸と言う洞窟に隠れてしまったのです。
太陽神である天照大神ですから、隠れてしまうと太陽も出ずに暗闇の世界となってしまい、作物は育たず病気になったりする人が増えてしまいました。このままではいけない…と八百万の神々が集まり相談をしました。
そして、天鈿女命が招霊の木を手に持ち、天岩戸の前で踊ったり、騒いだりしたところ、外の様子が気になった天照大神がちらりと外を覗いたのです。
そこで神々が「あなたより美しい神がいるのでお連れします」と言い、鏡で天照大神を写したところ、もう少し近くで見ようと思い、身体を洞窟から出した瞬間に思兼神が手を引き、手力男命が岩の扉を開けたと言われています。
この時の天岩戸は長野県の戸隠山まで飛んでいったと言われています。
そこで神々が「あなたより美しい神がいるのでお連れします」と言い、鏡で天照大神を写したところ、もう少し近くで見ようと思い、身体を洞窟から出した瞬間に思兼神が手を引き、手力男命が岩の扉を開けたと言われています。
この時の天岩戸は長野県の戸隠山まで飛んでいったと言われています。
天照大神は卑弥呼説
天照大神については、色々な説がありますがなんと、天照大神は卑弥呼だったのでは?と言う説もあるのです。

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別名オオヒルメノムチが卑弥呼と符号
天照大神の別名「大日孁貴(オオヒルメノムチ)」の「ヒルメ」の「ル」は、助詞「ノ」の古語で「日の女」であると言われています。
これは、太陽に仕える巫女のことであり、陽巫女と言われていた卑弥呼(倭迹迹日百襲媛命)に符合するのです。日本書紀の「神功皇后紀」には、「魏志倭人伝」の中で卑弥呼と神功皇后が同時代の人物であるなどとの記載もあります。
これは、太陽に仕える巫女のことであり、陽巫女と言われていた卑弥呼(倭迹迹日百襲媛命)に符合するのです。日本書紀の「神功皇后紀」には、「魏志倭人伝」の中で卑弥呼と神功皇后が同時代の人物であるなどとの記載もあります。
天岩戸に隠れた時期が卑弥呼が亡くなった時期に相当
天照大神が卑弥呼と言われる理由はほかにもあり、卑弥呼が没したと言われている近辺の247年、248年に北九州地方で皆既日食があったと言われています。
この時期は天照大神が天岩戸に隠れた時期に一致していると言う説があるのです。つまり、卑弥呼が生きていたと言われる時代と、天照大神の時代が重なっていたことから、卑弥呼が天照大神だったのでは?と言われているのです。
卑弥呼にも、弟がいたと言われていますし、天照大神にも須佐之男命と言う弟の存在があります。このように共通点が非常に多いのです。
この時期は天照大神が天岩戸に隠れた時期に一致していると言う説があるのです。つまり、卑弥呼が生きていたと言われる時代と、天照大神の時代が重なっていたことから、卑弥呼が天照大神だったのでは?と言われているのです。
卑弥呼にも、弟がいたと言われていますし、天照大神にも須佐之男命と言う弟の存在があります。このように共通点が非常に多いのです。
卑弥呼説には問題点もある
天照大神は卑弥呼だったと言う説は、問題点もあります。「記紀」によれば神武天皇は卑弥呼よりもはるかに古代の人物だと言われているので、系譜としては繋がらないのです。
そして、天照大神と言う神格が天武天皇のころに始まったと言われています。となると、太陽神を天皇の祖先だとする考え方も噛み合わないものとなってくるのです。
そして先にも紹介したように、天照大神は男であると言う説もあり、そのようなことから実際は天照大神と卑弥呼は無関係である…とも言われています。
そして、天照大神と言う神格が天武天皇のころに始まったと言われています。となると、太陽神を天皇の祖先だとする考え方も噛み合わないものとなってくるのです。
そして先にも紹介したように、天照大神は男であると言う説もあり、そのようなことから実際は天照大神と卑弥呼は無関係である…とも言われています。
天照大神が祀られている神社
では、天照大神が祀られている神社を紹介していきます。非常に神聖な場所ですので、参拝する際はしっかりとマナーを守って参拝するようにしましょう。

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伊勢神宮内宮
三重県にある伊勢神宮の内宮(皇大神宮)に天照大神が祀られています。「お伊勢さん」「大神宮さん」などと呼ばれて多くの人に親しまれています。
外宮には天照大神のお食事を司り、豊受大御神をお祀りしています。内宮はなんと2000年もの歴史があります。天照大神は、諸国を巡っており、その際に伊勢がすばらしいのでここに鎮座すると告げ、伊勢に鎮座したと言われています。
伊勢神宮に訪れた際は、まず先に外宮を参拝するのがマナーです。その後内宮へ参拝しましょう。そして、内宮は右側通行ですが外宮は左側通行となっています。
外宮には天照大神のお食事を司り、豊受大御神をお祀りしています。内宮はなんと2000年もの歴史があります。天照大神は、諸国を巡っており、その際に伊勢がすばらしいのでここに鎮座すると告げ、伊勢に鎮座したと言われています。
伊勢神宮に訪れた際は、まず先に外宮を参拝するのがマナーです。その後内宮へ参拝しましょう。そして、内宮は右側通行ですが外宮は左側通行となっています。
天岩戸神社
天照大神の神話にも登場してくる天岩戸が実際にあるのが、宮崎県高千穂町にある「天岩戸神社」です。天岩戸を御神体としてお祀りしている神社です。
天岩戸神社の西本宮には本殿は存在せず、天岩戸遥拝所が拝殿の裏にあり、そこから天岩戸を参拝できるようになっています。西本宮参拝後は東本宮にも参拝をしましょう。
そして、西本宮から徒歩10分ほどで到着する天安河原は、八百万の神様が集まって、どうすれば天照大神が天岩戸から出てくるかどうかを相談した場所だと言われています。
天岩戸神社の西本宮には本殿は存在せず、天岩戸遥拝所が拝殿の裏にあり、そこから天岩戸を参拝できるようになっています。西本宮参拝後は東本宮にも参拝をしましょう。
そして、西本宮から徒歩10分ほどで到着する天安河原は、八百万の神様が集まって、どうすれば天照大神が天岩戸から出てくるかどうかを相談した場所だと言われています。
今宮戎神社
大阪市浪速区恵美須西一丁目にある今宮戎神社は、商売繁盛の神様「えべっさん」で多くの人に親しまれている神社です。毎年1月9日〜11日に行われる「十日戎」では3日間で100万人もの参拝客が訪れると言われています。
天照皇大神、事代主命、外三神を祀っています。十日戎の際には非常に多くの人で賑わっていますが、普段はとても穏やかな場所です。
商売繁盛にご利益がある神社として知られており、大阪のパワースポットとも言われています。
天照皇大神、事代主命、外三神を祀っています。十日戎の際には非常に多くの人で賑わっていますが、普段はとても穏やかな場所です。
商売繁盛にご利益がある神社として知られており、大阪のパワースポットとも言われています。
大御神社
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